HISTORY

タウンの歴史

東急リゾートタウン蓼科は、昭和40年代、急速なモータリゼーションの進展による、ファミリーレジャーへのニーズの高まりや、高度成長による、量的な充足から質的な欲求への価値観の変容の中で、増えつつあったレジャー産業、取り分け、別荘に対する需要に対応すべく、東急不動産(株)が着手した大規模リゾート開発の中核事業です。

歴史01

昭和40年代後半〜

昭和40年代後半から用地取得、開発許認可が進められ、昭和53年の第一期別荘分譲に端を発し、現在まで23期、約1200戸の別荘と70棟1186戸のリゾートマンションを分譲、開発面積約660haの大規模団地に成長致しました。 この大規模リゾートタウン開発は、スポーツレジャー施設と別荘を一体に整備し、さらにコミュニティの要素を盛り込み、トータルリゾートライフを提供しようという発想で、レジャー施設は単なる別荘利便施設ではなく、それぞれの施設が独自に利用客を集めうる規模と内容を持つ複合リゾート開発として進められました。

歴史02

昭和54年〜

昭和54年蓼科東急ゴルフコース、蓼科東急テニスクラブ、昭和56年蓼科東急リゾート(パブリックホテル)、昭和57年蓼科東急スキー場が相次いでオープン、昭和63年には、現在、全国に17施設を展開する会員制リゾートホテル『ハーヴェストクラブ』の第一号施設として、東急ハーヴェストクラブ蓼科が開業致しました。

歴史03

平成11年〜

その後も、平成11年には東急ハーヴェストクラブ蓼科アネックス、及び鹿山の湯(温泉スパ施設)、平成13年にはビッグウィーク、同時期に、チャペルルシア(挙式用教会)がオープンし、平成18年度のタウン内施設利用者数は、約20万人(ホテル宿泊者・ゴルフ場利用者・テニスコート利用者・宿泊客除く温泉利用者・スキー場利用者※チャペル利用者・レストラン利用者・別荘来荘者・売店利用者等は含まず)と、中央道八ヶ岳/蓼科エリア屈指の複合リゾート施設として、揺るぎ無い地位を確立し、今なお成長を続けております。