蓼科の今

諏訪ゆかりの人々 岩波茂雄

2016.05.13


こんにちは 本日のブログ担当の岩下です。今朝8時の気温は11℃、天候は晴れとなっています。先日、ニュースで、長野県内で例年より1週間以上早くハルゼミが鳴いたとの話題がありました。今日も日中はだいぶ気温が上がるようです。熱中症にご注意ください。

さて今回は諏訪出身で、岩波書店を創業した岩波茂雄氏(以下敬称略)をご紹介しましょう。

 

1.160403岩波茂雄b.JPG 岩波茂雄(1881-1946)は、諏訪郡中州村中金子(現諏訪市中洲)に生まれ、子どもの頃は諏訪の方言でいうところの「ごた」、とてもすばしっこい、いたずらで元気な男の子だったそうです。現在、生家跡は公園として整備されています。

 

2.160204岩波茂雄.JPG15歳で実家を飛び出し東京の第一高等学校に進学しましたが、人生に悩むあまり落第を重ね退学となりました。その後一念発起して東京帝国大学選科で哲学を学び、神田高等女学校の教師となりました。

1913年(大正2年)に退職し、諏訪の田畑を売り払って東京神田に古書店を開業しました。その後、夏目漱石が岩波書店から「こころ」を自費出版したことが、出版社として発展するきっかけとなりました。


 

3.160403風樹文庫b.JPG       3-2160204風樹文庫.JPG1947年(昭和22年)出身地の諏訪郡中州村に、岩波書店から寄贈された図書を管理する「信州風樹文庫」が設けられました。岩波が日本文化の水準を上げるために若い学者を援助することを目的として設立した「財団法人風樹会」にあやかってつけた名称で、中国の古典「風樹の嘆」に由来しています。

 

4.160204岩波茂雄記念室.JPG1993年(平成5年)に現在の場所へ移転、新築された信州風樹文庫の2階には岩波茂雄記念室があり、夏目漱石「こころ」の原稿をはじめとした貴重な史料を見学することができます。


 

5.160403小泉寺b.JPG1946年(昭和21年)に64歳で亡くなり北鎌倉東慶寺に埋葬されましたが、諏訪市の小泉寺にも分骨埋葬されました。


蓼科へお越しの際は、風樹文庫や岩波茂雄ゆかりの地へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 


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