蓼科の今

諏訪ゆかりの人々 長田 新(おさだ あらた)

2016.06.30

こんにちは。本日のブログ担当の岩下です。午前8時の気温は17℃、天候は雨となっています。午後には曇りとなる予報ですが、気温が上がらないとのことですので、ご来荘の際は上に羽織るものがあったほうがよろしいでしょう。


さて今回は茅野出身で、日本教育学会の創設者である教育学者の長田 新氏(以下敬称略)をご紹介しましょう。



1.151103長田新.JPG        長田 新(1887-1961)は、スイスの教育実践家「ペスタロッチー」研究の世界的権威で、戦後日本の教育再建及び平和教育の推進者として大きな足跡を残しました。


2.151103長田新.JPG        諏訪郡豊平村(現茅野市)に生まれ、古田小学校下古田分校では、歌人島木赤彦の父、塚原浅茅の教えを受けました。諏訪中学校(現諏訪清陵高校)まで徒歩で通学する際、英語辞書を片手に、単語を一語覚えるごとに路上の小石をポケットに入れていたそうです。その後、広島高等師範学校(現広島大学教育学部)、京都帝国大学(現京都大学)文学部に進みました。
御座石交差点近くに、生家跡の碑とその功績を称える掲示板が設置されています。



3.151103長田新.JPG       1945年8月6日、旧制広島文理大学(現広島大学)教授在任中に、広島へ投下された原爆により重傷を負ったものの、かろうじて命を繋ぎ止めました。この経験から平和運動に力を注ぐとともに、原爆被災児童の手記を編集した「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」を刊行し、世界13ヵ国語に翻訳されています。
著作全集は茅野市図書館にも所蔵されています。


4.151103長田新.JPG       1961年、原爆症により74歳の生涯を閉じました。墓所は茅野市上原の頼岳寺にあり、分骨がスイスのペスタロッチ-の墓の傍らに埋葬されているそうです。


茅野出身の平和教育推進者長田 新、その理念を後生に伝えていきたいものですね。


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