蓼科の今

諏訪ゆかりの人々 宮坂英弌

2016.10.24

こんにちは。本日のブログ担当の岩下です。今朝8時の気温は5℃、天候は晴れとなっております。

さて今回は茅野市出身の考古学者、宮坂英弌(ふさかず)氏(以下敬称略)をご紹介しましょう。冒頭の写真は宮坂が自宅の馬小屋を改装して、発掘した土器などを展示していた尖石館の看板です。


1.161003宮坂.JPG        宮坂英弌(1887-1975)は、諏訪郡豊平村(現茅野市豊平)に生まれました。小学校で教鞭をとる傍ら俳人小平雪人と交流がありましたが、小平の兄は尖石遺跡を初めて学会に発表した人物でした。


2.161003宮坂.JPG        宮坂が考古学に興味を持ったのは、1929(昭和4)年、伏見宮殿下が諏訪郡内遺跡調査を実施する際、小平に誘われ同行したことがきっかけでした。現在の尖石縄文考古館前にある宮坂の銅像前あたりで発掘を行い、数点の土器がみつかりました。その時、土のなかに文化が眠っていることに感動したそうです。


3.161003宮坂.JPG        その後宮坂は長年休日を利用し、当時桑畑であった尖石遺跡の発掘を続けました。初めは宝探し的に完全な土器などを採集するだけでしたが、発掘を重ね専門家の指導を受けるうちに学術的な調査に発展していきました。


  3B.161003宮坂.JPG        そして尖石遺跡が竪穴住居群だけではなく、その間に「公衆的設備とも推定し得られる遺構からなる社会的地区があった」ことを発見しました。その結果を1946(昭和21)年に縄文時代集落論として発表し高い評価を得るとともに、遺跡の重要性が認識され、1952(昭和27)年には国特別史跡に指定されました。


4.161003宮坂.JPG        尖石縄文考古館では11月3日(木・祝)まで、特別展「縄文時代の村落を解き明かす情熱 宮坂英弌と尖石遺跡」が開催されています。
この機会に縄文時代に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

尖石縄文考古館 Web site 宮坂英弌の軌跡



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