蓼科の今
2016.11.19
こんにちは。本日のブログ担当の岩下です。今朝7時の気温は4℃、天候は雨となっています。今週末は長野県縦断駅伝が開催されます。コースは本日が長野市から岡谷市までの119キロ、明日は松本から飯田まで98.5キロとなっています。午後、大門街道や国道20号では選手通過の際、通行規制がございますので、お出かけの際は道路情報にご注意ください。
さて今回は、諏訪出身の考古学者、藤森栄一氏(1911-1973)(以下敬称略)をご紹介しましょう。
藤森栄一は、1911(明治44)年、上諏訪駅前の商家「紙類書籍文房具」店で生まれました。その日は雨台風により諏訪湖が氾濫し床上浸水となったので、たらいに入れられて浮かんでいたそうです。
子供の頃から黒曜石の矢じりなどに興味を持っていましたが、商売を営んでいた両親が家業を継ぐことを望んでいたため、内緒で旧制中学を受験しました。在学中に考古学と出会い、恩師三沢勝衛からは自ら考えることの大切さを学びました。
卒業後、家業を継いだものの考古学への思いを捨て切れず出奔し、その後波乱万丈の人生を送りながらも、森本六爾氏主宰の東京考古学会で本格的に考古学の研究を始めました。
終戦後は諏訪に戻り、古書店や旅館を経営しながら、多くの遺跡発掘調査に携わっています。
藤森栄一の最大の成果は、「縄文中期農耕論」でしょう。狩猟や採集が主とされていた縄文時代ですが、縄文中期の井戸尻遺跡群(富士見町)の調査で、石を加工した鍬(くわ)や包丁、臼、煮炊きに使われた土器等が多数発掘され、縄文中期に農耕が営まれていたことを主張しました。しかし当時は「農耕は弥生時代から」との定説が根強く、栽培穀物が発見されていなかったことから、藤森の仮説は学会では認められませんでした。
晩年、ビーナスラインの建設に伴い、霧ヶ峰の御射山遺跡の保護活動を行ったことは、新田次郎著「霧の子孫たち」に詳しく記されています。
1973(昭和48)年、62歳で亡くなるまで、藤森は精力的に調査・執筆活動を行っていました。現在は諏訪湖を見下ろす丘で眠っています。
冒頭の図書(諏訪考古学研究会)は、藤森栄一全集15巻の解説文と最後の対談をまとめたもので、各研究者による多様な視点からの藤森栄一論です。
藤森の業績の学術的な評価については、同会の「藤森栄一の蒔いた種 今-縄文中期文化論を問う-」(2014年)に総括されています。
藤森の亡くなった半年後、諏訪市内荒神山遺跡からエゴマが検出され、その後今日に至るまでエゴマ・リョクトウ・ヒョウタン・ヒエ・アワ・イネなどの栽培植物が次々と確認されています。それらのことから、「縄文中期農耕論」はもっと高く評価されてよいはずでしたが、今日的な科学的考古学の流れの中で、縄文時代の生業論は藤森の農耕論を置き去りにして進んでいるのが現実のようです(上記文献)。
井戸尻考古館には岡本太郎氏や宮崎 駿氏も絶賛した縄文土器がたくさん展示されています。古代の息吹を感じにぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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