蓼科の今
2017.01.02
あけましておめでとうございます。本日のブログ担当の岩下です。今朝7時の気温は-4℃、天候は曇り となっております。今日は午後2時よりタウンセンター前駐車場にて餅つき大会と岡谷太鼓がございます。今回はまず餅つきと餅の配布から始まり、その後太鼓の演奏、2回目の餅配布、となっておりますのでご注意ください。
昨年、大隅良典博士がノーベル生理学・医学賞を受賞しましたが、大正時代に日本人で初めて同賞候補に推薦された、信州出身の学者がいたことをご存知でしょうか。
今回は世界で初めて人工ガンを発生させることに成功した山極勝三郎氏(やまぎわかつさぶろう:1863-1930、以下敬称略)をご紹介しましょう。
山極(山本)勝三郎は幕末の1863(文久3)年、上田藩士山本順兵衛政策の三男として、信濃国上田城下(現在の上田市)に生まれました。上田城跡公園の北側に、今も生家の一部が残されています。
子供の頃から成績は優秀で、その後旧上田藩御典医の山極家の養子となり、東京帝大医学部(現東京大学医学部)を首席で卒業しました。
1892(明治25)年からドイツへ留学し、病理学で多大な業績を残したウィルヒョウ博士に師事。帰国後、東京帝大医学部の教授に就任しました。そしてウィルヒョウ博士が提唱した、ガンの発生原因は(発ガン性物質による)刺激にあるという説を実証するため、助手の市川厚一とともにウサギを使った人工ガン発生実験を開始。2年後の、1915(大正4)年、世界で初めて人工ガンを発生させることに成功しました(上田市立博物館発行「山極勝三郎博士の生涯と業績」(2007))。
この業績が認められ、1921(大正10)年、日本人初のノーベル医学賞候補に推薦されることが報じられました。しかし受賞したのは寄生虫発ガン説を唱えたデンマークの学者でした。その後その学者の実験結果は否定されましたが、すでに2人とも亡くなっていました。1966(昭和41)年、選考委員を務めた学者が来日した際に、「山極が受賞しなかったことは誠に残念であった」述べています(山極勝三郎博士顕彰会発行「山極勝三郎生誕150周年記念誌」(2013))。
昨年、その壮絶な生涯を描いた映画「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」が公開され、現在上映中です。
「癌の原因は多種多様なり」と山極が論文に記した通り、ガン研究が進むにつれてその発生や進行には、山極の証明した発ガン性物質暴露のほかにも多様な要因が関与していることがわかってきました。
山極の故郷の上田城跡公園の一角には、記念碑と胸像(清水多嘉示作)が建立されています。また上田市立博物館には特別展示コーナーが設けられていますので、一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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