蓼科の今
2017.04.24
こんにちは。本日のブログ担当の岩下です。今朝8時の気温は5℃、天候は晴れとなっております。
さて今回もまた、今年生誕250年を迎える江戸時代の名力士、「雷電為右衛門」氏(1767-1825)(以下敬称略)にゆかりの場所をご紹介しましょう。
冒頭の写真は、東御市の「道の駅雷電くるみの里」に併設されている雷電資料館です。
雷電為右衛門は信濃国小県郡大石村(現・長野県東御市)出身の大相撲力士で、身長約197cm、体重約172kgの立派な体格でした。初土俵は1790(寛政2)年、24歳。1811(文化8)年、45歳で引退するまで、勝率9割6分2厘を誇ったといわれています。
【生家】
雷電為右衛門(幼名 関 太郎吉たろきち)は幼い頃から力があり、親が畑仕事の際にひもでつないでいた大きな石を引き回していたそうです。
1798(寛政10)年、両親のために建てた家が、1984(昭和59)年に復元され、公開されています。
【石尊の辻碑】
15歳で隣りの長瀬村(現上田市長瀬)の庄屋、上原源五右衛門が主宰する相撲道場"石尊の辻"に入門し、相撲だけでなく論語などの勉学にもいそしみました。
【雷電像 道の駅雷電くるみの里】
1785(天明5)年、19歳で江戸の浦風部屋に入門、その後伊勢ノ海部屋に移り稽古に励みました。その強さから雲州松江藩御相撲衆として召し抱えられることになり、雲州藩ゆかりの「雷電」を名乗ったといわれています。
【力士雷電為右衛門の碑】
1861(文久元)年に、佐久間象山の撰文、揮毫による雷電顕彰碑が建てられましたが、その石片は勝負事にご利益があるとして削られ判読不能となったため、明治時代に山岡鉄斎・勝海舟の発起で新碑が建立されました。現在は新旧の碑が並んでいます。
【雷電の墓】
引退後は松江藩相撲頭取として後進の指導を行っていましたが、晩年は妻の故郷下総国臼井(現千葉県佐倉市)で過ごし、1825(文政8)年に59歳で亡くなりました。
墓は東御市のほか、東京都赤坂、佐倉市、松江市にあります。
なお生家、雷電の碑、墓は、道の駅から歩いて行ける距離です。
近くへお越しの際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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