蓼科の今

信濃の国は十州に~♪

2017.06.27

皆様こんにちは。

本日627日、蓼科はどんよりと曇った空・・・。ふむ、梅雨らしいといえば梅雨らしい。

気温は20度、過ごしやすい様ですが、ところが今日は湿度が高い・・・。

蒸し暑さを感じる何とも息苦しい蓼科でございます^^;

 

さて、本日のブログ・・・。

突然ですが、「信濃の国」という歌ご存知でしょうか?

「信濃の国は十州に、境つらぬる国にして・・・」という歌詞から始まる県歌です。

今日はこんなお話を一つ。

 

 

長野県、大きいですよね。

長野県の面積は13,561.56k㎡

もはや規格外の北海道(83,424.22k㎡!!)1位として長野県は47都道府県の中で第4位の面積!

北信、東信、中信、南信と大きく4つの地域に分かれるのですが、地理的要因に基づく便宜上の分け方とは別に、過去、長野県は信濃から廃藩置県によって分割されていた時期があるってご存知でしたか?

明治4年廃藩置県直後は、北信2郡と東信4郡を合わせて「長野県」

 

 

IMAG1734.jpgそれに対して南信3郡と中信4郡そこに飛騨の国を合わせて「筑摩県」

 

 

 

IMAG0632.jpgという2つの県に分かれていたのです。

 

 

これが現在の「長野県」の形になるのは明治9年。

過去長い歴史の中で為政者或は権力者の影響力の下、「信濃」は図らずも分割され続けてきたわけですが、この明治9年の改正において、初めて信濃は一つに「統一」されたとも言えます。

 

とはいえ・・・、

筑摩県として独立した自治体であった中南信側には根強い分割独立を求める声があったのも事実。

 

事ある毎に度々起きる分県運動の中でも、最も有名なのが、昭和23年の分県運動でした。

松本を中心とした分県運動は同年3月の県議会において分県案を採決するというギリギリの所まで追い詰められた状況でした。

議員定数60名のうち、

北信側議員29名(欠席一名)、南信側議員30名・・・。

 

採決に持ち込めば南信側の勝利。

 

県議会の議決を元に、分県は一気に加速しかねないそんな緊迫した空気の中、傍聴席からふと聞こえてきた歌声。

 

「信濃の国は十州に、境つらぬる国にして・・・」

 

あの「信濃の国」を歌い始めた方がいたのです。

その歌声はやがて傍聴席の市民による大合唱となり、分県賛成派反対派を分け隔てなく包み込みます。

涙声も混ざるその合唱は、議会を動かし、採決は延期・・・そしてついに廃案されるに至ったという奇跡のような逸話・・・。

 

そりゃそうですよね。「信濃の国」は「信濃」が一つの国であるからこそ歌える歌。

分割された瞬間から、「信濃の国」は誇りを胸に歌うことが出来なくなってしまうのです。

 

この逸話が史実であったかどうかはわかりませんが、

1,000年を超える歴史の中でようやく一つに纏まった「信濃」という国への郷土愛は恐らくとてつもなく熱く強いものだったのではないかと想像できます。

その郷土愛は為政者の都合とは関係なく人々の心の中に根差すもの。

史実であったとしても何の不思議もない・・・。

そんな郷土に対する熱い情熱を感じるお話でございます。

 

・・・つい先日、

所用があって長く地元にいらっしゃる方のお宅へお邪魔した際、

その客間の欄間に掲げられていたのが「信濃の国」の歌詞・・・。

 

あ~・・・、信濃の国、長野県にいる事に喜びと誇りを持っているのだなぁ・・・。

 

ふと、羨ましく思った瞬間でございました。

 

 

 

あ、ちなみに、

今年20歳の岩波君も「信濃の国」歌えるらしいですよ~^^

今度歌ってもらいましょう♪

 

 

 



今日のブログはいかがでしたか?
参考になった・おもしろかったと思われた方はクリックしてください。
みんなのモチベーションが上がります!
 
長野県 ブログランキングへ
一覧ページへ
東急リゾートタウン蓼科LINE公式アカウント
TENOHA TATESHINA
MAP タウンマップ
MAP
close_btn
もりぐらしタウンマップ