蓼科の今

信州の"海"

2020.07.24

0.松原湖.jpg

こんにちは。本日のブログ担当の岩下です。今朝8時の気温は17℃、天候は小雨となっております。


昨日、7月23日は「海の日」でした。
信州には海はありませんが、「海」のつく地名がたくさんあります。昔は湖を「うみ」と呼び、しばしば「海」の字が当てました。
諏訪湖の古い地図にも「うみ」と書いてあり、冬に御神渡りが起きなかった年は「明けの海」と呼ばれています。
また、県歌「信濃の国」には、「諏訪の湖(うみ)には魚多し」という歌詞もあります。

今回は海の日にちなんで、長野県の「海」をご紹介しましょう。

1a.小海駅.jpg

1b.海神社.jpg

「海」の付く地名で有名なのは、八ヶ岳東麓の「小海町」でしょう。
887年(仁和3年)、南海トラフを震源とする仁和地震の影響で、北八ヶ岳で大規模な岩屑なだれが発生し、千曲川や支流の相木川が堰き止められて湖ができました。
その後決壊して湖は消失しましたが、岩屑なだれ堆積物の凹地には水がたまり、冒頭写真の松原湖などの湖沼群が形成されています。
周辺地域には、海ノ口(川がうみに流入する所)、海尻(うみから川が流出する所)、海瀬(かいぜ)といった地名も残っています。また、海神社や港神社があります。

2.海野宿.jpg

蓼科山の北方、千曲川沿いに位置する東御市には、北国街道の宿場町「海野宿(うんのじゅく)」があります。
この地域は古代から海野荘と呼ばれ、豪族海野氏は戦国時代に武田氏に敗れるまでこの地域を支配していました。
正倉院には、「信濃国小県郡海野郷・・・」と墨書きされた奈良時代の麻織物が所蔵されています。

一方、上田市には海禅寺というお寺がありますが、元々は、東御市の海善寺(旧開善寺)地区にありました。こちらは「開」という字に「海」を当てたものです。

3.蓼の海.jpg

諏訪湖から霧ヶ峰に上る途中、林道を少し入った所に、「蓼の海(たでのうみ)」があります。
蓼の海は、かんがい用のため池として、1923年(大正12年)に築造されました。その後、冬期間はスケートリンクとして整備され、国体や数多くのスケート大会が開催されたほか、オリンピックの代表選手が合宿を行うなど、日本屈指のスケートリンクとして名を知られていました。
現在、周辺地区は蓼の海公園として整備され、芝生広場、森林体験学習館、フィ-ルドアスレチック、遊歩道、大見山展望台などがあり、釣りなどのアウトドア活動が楽しめます。

 諏訪市ホームページ

なお、諏訪湖のほとり下諏訪町には、「久保海道」という地名が残っています。
甲州路は始め、「甲州海道」と書かれましたが、新井白石が「海のないところに海道はおかしい」と言ったことから、「甲州道中」に改められたそうです。

4.古海盆地と斑尾山.jpg

長野県の北部、信濃町の野尻湖の近くに、「古海(ふるみ)」という地区があります。
ここは斑尾火山の活動によって形成された盆地で、湖でできた地層が分布しています。
古くは湖が存在していましたが、江戸時代に盆地出口の古海川を掘削し、干拓して水田地帯となりました。

斑尾東急リゾート(タングラム斑尾)は、大字古海地内にあります。写真正面の山頂にある野尻湖テラスからは、北信五岳や北アルプスの絶景が見られます。ぜひ一度足をお運びいただき、野尻湖の右手にある古海盆地にかつて湖があったことをご想像ください。


今回ご紹介したほかにも、佐久市には「新海三社神社」、大町市の木崎湖には「海ノ口」、「海尻」という地名があります。
この夏は、蓼科をベースに、信州の"海"を巡ってみるのはいかがでしょうか。

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