蓼科の今

信州の"鎌倉殿"

2022.02.09

こんにちは。本日のタウンセンターブログ担当、岩下です。今朝8時の気温は-6℃、天候は 晴れとなっております。

今年の大河ドラマは、鎌倉幕府を築いた源頼朝や北条氏の活躍がテーマとなっています。
今回は、信州で"鎌倉殿"とも深い関わりのあった、木曽義仲(源義仲)、源頼朝、塩田北条氏の話題をご紹介しましょう。

1.220201木曾義仲像.JPG

木曽義仲(源義仲)(1154-1184)は源頼朝・義経兄弟の従兄弟で、幼少期を木曽(木曽町日義地区)で過ごしました。義仲と共に戦った武将、巴御前も日義で生まれ育ちました。

一覧ページの二人の銅像は、木曽町の義仲館入口にあります。

 木曽義仲は、頼朝や義経よりも先に平氏を追い詰め、京都に上りました。源氏で初となる征夷大将軍に就任しますが、その後、頼朝に討ち取られました。

 信州ではいまも絶大な人気があり、県歌「信濃の国」にも歌われています。

 義仲館ホームページ(感染症拡大状況により臨時休館あり) 

2.220201 善光寺駒返橋.JPG

源頼朝(1147-1199)は、平治の乱(1159)で父義朝が平氏に敗れた後、伊豆国へ流され、伊豆の豪族・北条時政の長女である政子と結婚しました。政子は"鎌倉殿"の主役である北条義時の姉です。その後、伊豆での平氏との戦いを皮切りに、広く坂東を平定し、西国で平氏を追討した後に鎌倉幕府を創設しました。

 頼朝は善光寺(長野市)を深く信仰し、火災で焼失した本堂の再建を行っています。
 門前の駒返り橋には、頼朝が参詣した折、馬の蹄が石橋の穴に挟まってしまい、馬を返しそれより先は徒歩で参詣したとの逸話が残されています。

 今年は善光寺御開帳があります。お詣りの際には、ぜひ橋の穴を探してみてください。

 善光寺ホームページ

3.220201安楽寺三重塔.JPG

源頼朝の跡、北条義時は鎌倉幕府2代執権となりました。その3男である北条重時の5男北条義政(1543-1282)とその孫までの3代は、塩田北条氏と呼ばれています。義政は鎌倉幕府の要職を歴任しましたが、その後善光寺で出家し、信濃国塩田荘(上田市)に住みました。

 文化人としてもすぐれていた義政は、『新後撰和歌集』や『玉葉和歌集』、『続千載和歌集』などに多くの歌を残しています。また、3代に渡り"信州の鎌倉"と称される独自の文化を築きました。別所温泉にある安楽寺三重塔は鎌倉時代末期に建てられた日本で唯一の木造八角塔で、国宝に指定されています。

 上田市マルチメディア情報センターホームページ 

4.220201鎌倉道遊歩道.jpg

 鎌倉時代には、東北や関東、中部地方と鎌倉を結ぶ鎌倉街道が整備されました。茅野市や諏訪市、下諏訪町の里山には鎌倉道の跡が残っています。
 写真は、神長官守矢史料館裏の"空飛ぶ泥船"付近を通る鎌倉道です。諏訪大社上社前宮を通るこの道は、遊歩道として整備されています。

 茅野市ホームページ
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蓼科へお越しの際は、"鎌倉殿"の時代に思いを馳せながら各地を訪れてみてはいかがでしょうか。

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