蓼科の今

徳川家康と信濃

2023.02.04

こんにちは。タウンセンターの岩下です。今朝8時の気温は-4℃、天候は晴れとなっております。昨晩の積雪はセンター地区で約1㎝、タウンの標高が高い地区では4~5㎝でした。

 今年の大河ドラマは、江戸時代の礎を築いた徳川家康の生涯がテーマとなっています。
 今回は家康と当時の信濃にまつわる話題をご紹介しましょう。どうする!ブログ家康。

 【上田城】

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 織田信長が武田氏を滅ぼし、その直後本能寺の変(1582年)で倒れたため、旧武田領であった当時の信濃は地元や周辺各地の勢力によって混乱状態にありました。徳川家康も駿河から甲斐、信濃へと勢力を伸ばし、2016年の大河ドラマ「真田丸」で描かれた上田合戦(1585年、1600年)につながります。
 写真は真田昌幸らが立てこもって戦った上田城です。第二次上田合戦では、徳川秀忠(家康の三男、後の第二代将軍)が小諸から攻め込んでいます。

 【家康と土佐守】

2.230201家康と土佐守.jpg
 南信濃の遠山郷(現在の飯田市)をおさめていた遠山土佐守景直は徳川方につき、第一次上田合戦に参加しました。家康にその功を認められ、1596年(慶長元年)に岡崎城内で謁見しています。その後、大阪冬・夏の両陣にも出陣しました。
 画像は、南信濃の和田城にある家康と景直の謁見を表した銅像です。

 【スズキヤ】

3.230201 スズキヤ.jpg
 徳川家康が生まれた岡崎城は龍にまつわる伝説が多く、別名龍ヶ城とも呼ばれています。
 岡崎城跡地にある龍城(たつき)神社では、ウサギの肉を入れた吸い物を出すのが将軍家の正月行事の一つだったことにあやかり、元日の参拝者ににうさぎ汁をふるまう風習があります。
 うさぎ肉は飯田市南信濃にある「肉のスズキヤ」から仕入れているそうです。

 肉の鈴木屋

Yahoo! JAPANニュース(信濃毎日新聞)2022/12/31(松本市に伝わる故事)

 【善光寺 大奥供養塔】

4.230201善光寺大奥供養塔.jpg
 長野市にある善光寺には徳川家大奥供養塔があり、江戸幕府三代将軍徳川家光の正室本理院や家光の乳母春日局らが祀られています。善光寺は徳川家から篤く信仰を受けていました。

 【駒ヶ岳サービスエリア】

5.230201 駒ヶ岳SA土産.jpg
 最後の画像は、中央自動車道駒ヶ岳サービスエリア上り線にある、家康の出身地"三河の名物コーナー"です。

 その他、下伊那郡喬木村の歴史民俗資料館には徳川家康から信濃国伊那郡知久頼(七郎)に宛てた書状が展示されており、善光寺にも2通の書状があります。

飯田・下伊那の文化財検索(飯田市美術博物館HP)

長野市文化財データベース(長野市HP)

 残念ながら徳川家康が信州に足を踏み入れたという話題は見つからず、今回は難易度が高いテーマでした。 しかし、その影響は県内各地に及んでいます。例えば、国宝松本城の初代当主石川数正(ドラマでは松重豊)は家康の側近でした。

 大河ドラマを機に、信州にも残る家康の痕跡を辿ってみてはいかがでしょうか。

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