蓼科の今

今年は、昭和100年!

2025.01.01

あけましておめでとうございます。タウンセンターの岩下です。 今朝8時の気温はマイナス10℃、天候は晴れとなっています。
 今年は、昭和100年! ということで、蓼科周辺の"昭和レトロ"なものを集めてみました。
 
 
 
1.テニス地蔵さん.jpg
 東急リゾートタウン蓼科のタウンセンターの前、第二駐車場わきにたたずむ"テニス地蔵さん"です。
 1979年(昭和54年)の蓼科東急テニスクラブ開業時は第二次テニスブームで、コートは30面もありました。
 
2.蓼科東急ゴルフコース クラブハウスレストラン.jpg
 蓼科東急ゴルフコースのクラブハウスは、タウン内で一番古い施設です。1979年(昭和54年)に建てられました。
 梁をあらわした山小屋風の建物で、レストランはプレーヤー以外の方もお気軽にご利用いただくことができます。
 
 
 
3.蓼科アイス.JPGのサムネイル画像
 「喫茶 蓼科アイスは」、蓼科湖畔の道の駅「ビーナスライン蓼科湖」にあります。
 昭和の時代に、日本映画界の巨匠・小津安二郎監督をはじめとする芸術家や、文人墨客が通っていた喫茶店「蓼科アイス」がモデルとなっているお店です。
 八ケ岳中央農業実践大学校の牛乳を使った「牛乳ソフト」や、旬のフルーツが入ったソフトクリームが楽しめます。
 
 
 4.茶房・銀のポスト.JPGのサムネイル画像
 蓼科高原プール平にある「茶房・銀のポスト」は、1937年(昭和12年)に建てられた旧蓼科郵便局の局舎を、1988年(昭和63年)に喫茶店に改装したものです。
 正面入口の洋館部分が郵便局だったところで、右手の和館は局員の住まいだったそうです。
 屋根の上の尖塔には「〒」マークがあります。
 
 
 
5.小津安二郎展示コーナー.JPGのサムネイル画像
 小津安二郎監督は、晩年、蓼科高原滞在中に多くの名作を生みだしました。
 茅野駅西口のベルビア2階には、小津監督や脚本家野田高悟氏を紹介する展示コーナーがあります。
 蓼科高原プール平にある「無藝荘」は、小津監督が1955年(昭和30年)頃に製糸業で有名な片倉家から借りて滞在していた建物です。"小津の散歩道"のスタート地点にもなっています。
 
 
 
6.朝日軒.JPGのサムネイル画像
 小津監督の展示コーナーと同じベルビアの2階には、昭和レトロなお店「朝日軒」があります。
 当時と同じように、ちびっ子たちが目を輝かせてお菓子を買っています。
 
 

7.丸型ポスト.JPGのサムネイル画像
 丸型ポストは昭和の時代には茅野市内にもたくさんありましたが、今では玉川小学校前と横谷温泉旅館前くらいになってしまいました。
  
 
 
8.宮川橋.JPGのサムネイル画像
 宮川に架かる宮川橋は、諏訪大社上社御柱祭の"川越し"のすぐ上流にあります。
 1926年(大正15年、昭和元年)の建設です(土木学会歴史的鋼橋検索Webサイト)。
 コロナ禍に見舞われた前回の御柱祭では、この橋の上で御柱を載せたトレーラーが停車し、川から放水して御柱を清めました。
  
 ちなみに、「昭和橋」という名前の橋が、諏訪湖の下流の天竜川に架かっています。また、坂城町の千曲川に架かる「昭和橋」は、「中島武設計 鉄筋コンクリートローゼ桁群」として日本土木学会から「土木遺産」の認定を受けています。
 

 9.昭和のお菓子.jpg

 懐かしい昭和のお菓子ですが、これらは今も茅野市内のスーパーマーケットで買うことができます。
 一部はタウン内の売店「サムシング」でも扱っています。
 
 
 
10.ケロリンおけ.JPGのサムネイル画像
 「ケロリン桶」は、1963年(昭和38年)に鎮痛薬ケロリンの広告媒体として製造が開始されたものです。
 昔は銭湯や温泉によくありましたが、今では諏訪地方の温泉でもほとんど見かけなくなりました。
 
 

11.蓼科高原ペイント.JPGのサムネイル画像
 「昭和」の時代は、実際には1926年12月25日から始まりましたので、昭和元年は1週間しかありませんでした(昭和64年も1週間です)。
 「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠んだのは俳人、中村草田男氏ですが、昭和も"遠くなりにけり"になりました。
 そのうち、今度は、「平成も・・・」と言われるようになるのかもしれませんね。

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